時空を超える「これすき」

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アニデレPと美城常務の対比から「プロデュース」を考える

 

 

 アニデレにおいて、「対比表現」というのは非常に多用されている表現の一つです。
 例えば、6話のNGsとラブライカのデビューライブへの考え方の対比、1話と7話での同じ場所での対比、3話と25話での観客の見え方の対比――
 その中でも、かなり明確に対比が描かれていた存在といえば、間違いなくプロデューサーと美城常務の二人でしょう。
 アイドルを主役にしたアニデレにおいて、この二人の対立によって描かれたものとは、いったいなんであったのか? 彼らはこの作品においてどういう存在であったのか?
 それについて、考えてみます。

 

 

 

「常務とは何者か」

 セカンドシーズンで突如現れたアイドル以外の登場人物、美城常務。
 順調に前に進んでいたCPを含めた全プロジェクトの解体と再構築を宣言し、現状の成果を「遅い」と一蹴。自らの理想とする346プロダクションのため、直接プロジェクトの指導に当たります。
 順風満帆に見えたCPの行く先を遮るように現れた彼女は、モチーフであるシンデレラの「いじわるな継母」として描かれた、そんな風に評価されることも多いですが、果たしてその評価は適切なのでしょうか。
 プロデューサー(ややこしいので以下武内P)との対比的な存在として描かれた彼女は、むしろ本質は彼と同じ――いわば、「魔法使い」に近い存在です。
 方法や思想は違えど、「アイドルを輝かすためにプロデュースする存在」である点は、武内Pと大きな違いはないのかもしれません。
 ただ、明確に違うのが、「彼女自身もまた夢見る存在である」点です。
 彼女は劇中で何度も「346の伝統に似合うアイドルを作り上げる」といい、それを第一原則として企画を進行していました。「アイドルそれぞれの個性を引き出す」ことを中心とした武内Pと明確に異なる点がそこです。
 言ってしまえば、彼女もまた「夢見るシンデレラ」であるのです。

 

「常務のしたことについて」

 いきなりプロジェクト解体という衝撃的な行動をとったあたりから、まるで悪役のようにも見える彼女ですが、じゃあ実際そうなのかと言われたら、そうとも言い切れません。
 確かに、あまりに急で強引な方針転換と改革の強行、異なる価値観を認めないかたくなな姿勢などは、正直褒められたものではありません。
 では彼女は登場人物全員に害をなすものであったかと言われれば、それは違うと断言できます。
 アイドル部門以外も含めて大なり小なり彼女のやり方で成果が上がっていますし(NOMAKE20話)、凛やアーニャの新たな可能性を見出したのも彼女です。また、クローネに参加するアイドル達は、大なり小なり新しい環境へ期待を持っているようでした。
 彼女がとがめられるべきなのはそのやり方であって、思想ではないんですよね。

 実際武内Pは常務のやり方でしか見えないものがあることを早々に認めています(NOMAKE20話、本編20話)し、プロジェクトクローネも倒すべきライバルというよりは、競い合い時に協力し合う仲間として描かれていました。

 道を遮るものでありながら、決して敵ではなかった常務。では、彼女はいったいどのような存在だったのでしょう?
 これは、先ほどの繰り返しのような結論になりますが――彼女は、もう一人の「プロデューサー」であったのではないでしょうか?

 


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(最終話では専務に。このことから分かるように、会社的に見れば彼女の成し遂げたことは大きい)

 

「違う道を歩む2人」

 美城常務がどのような思いを持って346プロアイドル部門の改革に着手したのかについての描写は存在しません(一応公式ファンブックの設定資料にわずかに存在はする)。ゆえに、なぜ彼女が改革をしたのかはわかりません。確かなのは、自らの理想を第一原則とし、それ以外を排除する勢いの彼女の思想は、「アイドルそれぞれの個性」を大切にする武内Pと対立したことです。
 武内Pの笑顔の力を否定する常務ですが、一方で武内Pは、常務の思想は自分と相いれないものしつつも、常務によって見出された可能性を魅力的なものであると認めています(アイドル達と1対1で話し合えたのが大きかったのかもしれません)。また常務も、秋の定例ライブやNGsのクリスマス公演を見ることで、不本意ながらも武内Pのもとのアイドルたちの輝きを感じ始めます。
 そして、25話での2人の対話。どう見たって大成功しているイベントを寂しげに見つけながら、それでもなお武内Pの思想を否定する美城常務。
 そのやり方ではいずれ限界があるだろうという常務に、それが自分のプロデュースであると、まっすぐ武内Pは肯定します。
 そんな様子を見て、「私たちはかみ合わない平行線」だということを認める常務。そして、こうも尋ねます。

「アイドルはその平行線すらも超えていくのか?」

 その質問に対しても、武内Pは肯定。明るい表情のPに対し、常務は、少しだけ寂しそうな表情をするのでした。

 

「メタ的に見たときに」

 2人の対立は、つまるところ、「アイドルに対するプロデュース観が異なったときどうすればいいのか?」ということへの問題提起なのではないでしょうか。
 アニデレ全体において、2人の思想は明確に反するもの、交わらないものとして描かれています。しかし同時に、その異なる思想も、アイドルの中には両存しうるものであるとして描かれています。
 渋谷凛の例がわかりやすいでしょう。武内Pが彼女に見出したNGsとしての凛と、常務が見出したTPとしての凛は、全く違うアプローチではありますが、凛という女の子の中でともに存在しています。
 つまり、「複数の可能性は一人のアイドルの中に同時に存在しうる」わけです。それを2人は理解したため、互いに対立する中で、「異なる考えもアイドルの中で両存しうるのだから、平行線のままでいい」という結論にたどり着いたのです。
 理解しあうことはできなくとも、それによって生まれる価値を認め、違う道を歩んでいけばいい、アイドルにとっての正解などはない――「個性」という要素が大事なシンデレラガールズにおいて、二人の対立は、そのことを浮き彫りにしてくれる存在だったのではないでしょうか?
 それぞれのPに、それぞれのプロデュースがあって、それらは押し付けても遮ってもいけないもので、むしろ、等しく尊重されるべきである、それは、一人のアイドルの違う可能性を引き出すものであるから――そういう、メッセージが込められているのではないでしょうか?

 


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(それぞれにしか見えないものがあるから、それぞれの道を歩めばいい)

 

「まとめ」

 プロデュースというのは非常にあいまいなもので、明確な正解がないものです。プロデューサー側が明確な道を示すことでできることがあるかもしれないですし、アイドル側の意思をくみ取ることが一番大事なこともあるでしょう。
 どちらのやり方にしろメリットもデメリットもありますし、やり方は同じでもアイドルに対する見方が違えば結果は大きく異なるでしょう。
 必要なのは、視野を広く持つことなのかもしれません。自分のやり方、見方にこだわることなく、様々なPの見方ややり方を見て、その結果生まれたものを取り入れ、少しずつ変えていく。そうやって世界が広がることは、アイドルをさらに多角的に輝かせることにつながるはずです。
 大事なのは、否定しないこと。まず受け入れてみてから、そこになにがあるかを確かめ、良いものはいいと素直に認める。
 それぞれのPがもつ思いはすべてが平行線かもしれませんが、それはすべてアイドルの中に存在しうるものであるのですから、すべてが共存しうるはずです。そしてそれは、アイドルを様々な形で輝かせることにつながるはずです
 武内Pと美城常務が、そうであったように。
 これはきっと大切なことであると、自分は思います。

 

 

 

 以上でアニデレ振り返りを終了します。
 短い間でしたがお付き合いいただき、ありがとうございました。

    改めて、この作品が自分にとって大切な作品であることを再び実感出来ました。
 願わくば、アニデレがこれからも皆さんの胸に残り続ける作品でありますように。

 

ⓒBNEI/PROJECT CINDERELLA