時空を超える「これすき」

アイマス中心に、とにかく好きなものを好きということをメインとしたブログ。 Twitter → @hatenakiniwaka

本田未央好きのPに未央の好きなカードのアンケートを取ってみた

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうもこんにちは。ネクサス系統という者です。

 

 先日、「本田未央のカードはどれが人気なのだろう?」と何気なく興味がわきまして、アンケートを取らせていただきました。

 

 結果、72人のPの方に回答いただきました。ありがとうございます。

 

 まあ正直自分の所属するコミュニティ内の、しかもデータ数もそこまで多くない結果ですし、なにより、集計の際に致命的なミスをしているので……あくまで参考程度に、にはなりますが。

 

 せっかく集計したので、今回まとめさせていただきました。

 

 よろしければ、ぜひ見ていってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【調査名】
本田未央 カード人気調査

 

【調査期間】
2019年 11月17日~12月7日

 

【調査対象】

自分(ネクサス系統)のTwitter上、および未央の交流Discordサーバー「Miotalk」上での調査呼びかけに協力してくださったPの方々

 

【調査人数】
72名(うち未央Pが67名、その他Pが5名)

 

【調査方法】
Googleフォームにて調査。調査委開始時点でモバゲー版、デレステに実装されている本田未央のカード28種類から、1~5番目まで好きなカードを選んでもらう。
その後、1位票5点、2位票4点、3位票3点、4位票2点、5位票1点で集計。合計点数が高い順に人気が高いカードとみなす。

 

※留意事項一覧

ステージオブマジックはモバ版とステ版で別カードとみなす。
2ndアニバーサリーに関しては差分を含め1種類とみなす。
特訓前後は区別せず集計する。
未央が写りこんでいるカードは含めない。
結果があくまで参考程度に。

 

[放課後パーティ][Stage Bye Stage]を集計対象に入れ忘れてしまいました申し訳ありません!!!!!! この時点でデータとしては終わってるんですけどデータの意味を0にもしたくないというわがままでこの記事を書いてます許してください……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【調査結果】

 

 


 ということで、いろいろ書きましたが、これから上位10枚を発表していきたいと思います。

 

 

 

 それでは、第10位は……このカード!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「プロデューサーとなら、私はずーっと輝いていけるっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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10位 [スパークルスター] 


合計 39pt(内訳 5位票から順に 2,4,4,3,1票)

 

 第8回総選挙、属性1位を記念した[スパークルスター]が第10位にランクイン!

 

 華やかなステージを想像させる特訓前。これまでも、これからも、こうやって彼女と一緒に輝く舞台を作っていくのでしょう。またこの特訓前のイラスト、近年でも屈指の本田未央のバストサイズを強調しているという説も……?

 

 特訓後は彼女の晴れやかなイメージにぴったりな鮮やかなオレンジのドレスを着こなしています。まるで太陽のようなその姿は、今年1年のパッションの代表としてふさわしいといえるでしょう。

 

 

 

 続いて、9位はこのカードです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私は英雄じゃない。ただ、大切な人の前でカッコつけたいだけ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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9位 [光のプリンセスナイト]


合計 45pt(内訳 6,4,2,5,1)

 

 第7回総選挙開催時の月末ガシャで追加されたSRが9位に!

 

 未熟ながらも勇気に溢れる特訓前は、壮大な物語の幕開けを感じさせます。明るく陽気ながらも着実に未来へと歩みを進める新米冒険者に、未央は自らがまだ未熟だったころを重ねているようですね。衣装は、スポーティな見た目ながらおへそが見えているのが大事なところです。

 

 特訓後は冒険のクライマックス。剣とともに、先導者として旗を掲げる彼女は、まるでジャンヌダルクの如し。人の想いに応え勇者たるというのは、まるでファンの応援に応えるアイドルですよね。

 

 

 

 どんどん行きましょう、8位はこれだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも最初からずっと鳴り続けてるのは、プロデューサーのファンファーレ☆多分ね、これ…私の一生の応援歌ー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8位 [情熱ファンファンファーレ]


合計 47pt(内訳 0,6,5,5,0)

 

 未央の代表的なユニットの1つ、ポジパの初めての楽曲のカードがランクイン! デレステのイベントSRでは最高順位でした。1位票なしでしたが、幅広い支持を集めました。

 

 特訓前はLIVEしに訪れた学食での一幕。普段は違う学校に通う3人の、少しの間の学園生活! しっかし、飯がうまそう……学食でこれが食えるのやばくない?

 

 特訓後は屋上LIVE! 「情熱ファンファンファーレ」は、今を頑張る人たちの背中を、そっと優しく押してくれる暖かい応援歌。屋上から学園中に届くように、学生全員に、前向きになるための情熱を、歌おう!

 

 

 

 さあ、続いて7位は……このカード!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の笑顔で、みんなにとびきりのハッピーを届けるから、カ・ク・ゴ、してねっ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7位 [ステージオブマジック]


合計 62pt(内訳 4,3,7,4,3)

 

 デレステローンチから存在する初期SSRが7位にランクイン!

 

 特訓前は遊園地でのデートシーン。夕暮れ時に彼女の笑顔が不思議と輝いて見えますね。2人きりということもあってか、未央の発言もいつも以上に積極的で……どぎまぎしたPさんも少なくないのでは?

 

 特訓後は鮮やかなオレンジの照明に包まれて踊る未央の姿が。ちなみにこの衣装は同じ初期SSRの卯月、凛と共通で、アニメ版最終回のライブシーンでも使用されました。衣装の構造が複雑すぎて、数秒のライブシーンの作画に一週間かかったのは有名な話。

 

 

 

 さあまだ止まりません。次は6位だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このステージで燃え尽きる!私は、みんなのために生まれてきたから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6位 [ワンダーエンターテイナー]


合計 72pt(内訳 2,6,8,8,2)

 

 デレステ最初のフェス限の一種でもあるSSRが6位! 初めてのトリコロールカードでもありますね。

 

 今回のライブの舞台は何とラスベガス! ついにはたした海外進出に未央のテンションも浮かれ気味で、特訓前のイラストやセリフから海外を思いっきり楽しんでいる様子が感じられます。しかし、ステージに向かうとなれば話は別。彼女は、ファンのために舞台に立つ!

 

 特訓後は絢爛豪華な衣装を身にまとい、最高の舞台を作り上げるためにステージへ。その舞台の実現がいかに困難であろうとも、未央は1人ではないのだから。手と手をつなぎ、彼女のエンタメは次のステージへ!

 

 本田未央の1つの到達点とする人も多い、まさしくワンダーエンターテイナーな1枚です。

 

 

 

 そしてここからはTOP5! 5位から行くぞー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポジティブパッションの、ポジティブパッション担当!本田未央ーっ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5位 [ポジティブパッション]


合計 76pt(内訳 6,5,6,3,6)

 

 第5位はポジパの名を冠するSSR

 

 特訓前はポジパの日常シーン。全く違う場所で青春を歩んでいた3人が出会えたのは、アイドルという運命のおかげなのかもしれません。ちなみに藍子制服姿はかなり珍しかったり。

 

 特訓後の衣装はモバのSR[放課後パーティ]のアレンジ衣装! 現在はまだ藍子のポジパSSRは存在しませんが、実装されたらぜひ並べてみたいですね。

 

 またこのカードは、未央にとってのユニットという存在がどういうものなのかが描かれた一枚でもあります。

 

 

 

 さあ、発表も終わりが近づいてきました……4位の発表です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさま、プロデューサー! ほら、行こ? ……デート♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4位 [ニュージェネレーション]


合計 79pt(内訳 1,3,6,6,6)

 

 本田未央最初のSRが4位にランクイン。3位票以上が多く、熱い支持を感じます。

 

 サービス開始以降、長らく新規カードが実装されなかった未央の1年ぶりの新規カードであり、当時の未央Pは登場演出の「お待たせ」に涙したとか。

 

 特訓前はクリスマスデート……いやこのアイドルデートしすぎだろいいのかいいんだよな!?

 

 特訓後は初期衣装のアレンジ。まさかの露出増加でセクシーさが3割増し。元気で可愛くて色気もあるって無敵かよ。ちなみにこの衣装でも着けているリボンカチューシャは結構いろんなカードで着用しています。

 

 

 

 そして……ここからはTOP3! 行きますよ、3位はこれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せっかくだから誓ってもらおうかな。私をトップアイドルにするって!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3位 [カレイドスノー]


合計 82pt(内訳 3,4,3,8,6)

 

 第3位はデレステの限定SSR

 

 実は冬のイラストが多い未央。カレイドスノーはその一つの総決算といえるかもしれませんね。特訓前は楽しそうに雪遊びをしていますが、特訓後ではチャペルという撮影現場で。その荘厳な雰囲気にぴったりな美しい表情を魅せてくれます。

 

 その雰囲気にたがわず、未央のセリフもなんだかいつもより大人っぽくて……彼女の新たな魅力がいかんなく発揮された1枚だと思います。

 

 

 

 発表も残すところあと2枚。2位は……こちら!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイドル本田未央は、ちゃんと一番星みたいに輝きたいんだ」

 

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2位 [オンリーマイスター]


合計 118pt(内訳 2,8,9,7,9)

 

 第2位に輝いたのは、第6回総選挙時に実装されたSR。合計得点は100点を超えました。

 

 本田未央の大きなターニングポイントとして語られる1枚。思い出エピソードで語られる、彼女の1つの覚悟。いつも太陽の様にキラキラ眩しい彼女がプロデューサーにだけに見せた、少しの弱さと思い。未央をシンデレラガールにしたいと思う未央Pがこのカード実装後増えたのは、きっと偶然ではないと思います。

 

 特訓後は宇宙の王子様……のようなイメージのモデル撮影! いつもよりかっこよさ増しましなその姿には、新たな場所への挑戦に対する意欲が感じられます。

 

 

 

 さあ、最後になります。1位はもちろん……このカード!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなのことが、大好きだっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1位 [シンデレラガール]


合計 203pt(内訳 5,2,8,9,26)

 

 第8回シンデレラガール総選挙、1位。たくさんの人の想いを受け、遂にたどり着いたガラスの靴。シンデレラガールが2位以下に圧倒的大差をつけ1位に。驚くべきは1位票の多さ。なんと全体の3割以上がこのカードを1位にしていました。

 

 特訓前は1位になった未央へのサプライズの瞬間。感動のあまり、彼女の眼には涙が。そんな未央から伝えられるのは、感謝の言葉。ひとりではなかったから、だから、きっとここまで来れた。だから、大切な人に、彼女は言うのだ。「ありがとう」と。

 

 特訓後はシンデレラガールらしい青いドレス。選んでくれたファンのため、彼女はとびっきりの笑顔を見せる。その姿に、もはや言葉は不要だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 以上、ベスト10でした。あなたの好きなカードは入っていたでしょうか?

 

 これにて、結果報告を終了します。

 

 集計の不手際、大変申し訳ありませんでした。そして、アンケートに協力してくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

終結

 

1 シンデレラガール 203
2 オンリーマイスター 118
3 カレイドスノー 82
4 ニュージェネレーション 79
5 ポジティブパッション 76
6 ワンダーエンターテイナー 72
7 ステージオブマジック 62
8 情熱ファンファンファーレ 47
9 光のプリンセスナイト 45
10 スパークルスター 39
11 パーフェクトスター 37
12 星祭の歌姫 27
13 君への詩 24
14 トゥインクルスター 21
15 STORY 19
16 ワンダフルマジック 16
17 N 14
18 CD 13
19 アニバーサリースター、ゴキゲンPartyNight 10
20 秋夜の乙女 9
21 G4U! 8
22 チャームフォーハピネス 7
23 2ndアニバーサリー、メモリアルParty 6
24 R 4
25 ステマジモバ 3
26 ドリームストーリー 1

 

 

 

最近触れたものへの感想(ラブライブ、ガンダムSEED)

 

 

 ブログというものへの存在意義が問われ始めていたので、最近触れたアニメとかもろもろの感想を記していきたいと思う。

 

 ブログ記事一個分で描きたいような奴も混じってるけど、まあ必要があったらまた書けばいいのだ。

 

 

 

 

ラブライブ(アニメ1期2期劇場版履修)

 

 想像以上に良かった。頭カラッポで見る萌えアニメではなく結構まともにスポコンしていてのがでかい。

 

 とにかく音楽が優秀。適度に語彙力のない感じの歌詞が等身大の叫びって感じでたまらん。物語をこれでもかとエモくさせようとがっつり歌詞をリンクさせようとする姿勢がよし。曲にハマりすぎてスクフェス入れたしCD借りたしアイマスのライブの前に聞き始めたりしてた。

 

 脚本のムラがすっごくて毒にも薬にもならん個別回がある一方でこちらの心にぶっ刺さる回がちょくちょくあってそれが忘れられん。俺をエリーチカ推しにしたのはこのアニメのせいだ。

 

 序盤と終盤の出来を考えるとやっぱり1期の方が面白いとは思う。エリーチカ回と2年生回の出来があまりにも良すぎる。2期はちょっと余分な要素が多すぎた感じはするけど、まとめの話としてはいい続編だった。

 

 劇場版に関してはやや不満多め。終盤の展開はやや突飛すぎるといわざるを得ない。ただスクールアイドルとしてのグランドフィナーレとしては悪くない。てかエンディング曲で全部許した。

 

 総じていえば粗が多いがそれ以上にとんがった魅力があるので、加点方式なら無敵のアニメという感じ。

 

 どうでもいいが「さようならへさよなら!」を聞いた時ちょっと泣きかけた。

 

 

 

ラブライブサンシャイン(1期2期履修)

 

 こっちも見た。映画は今度見る。

 

 全体を通して言えばこっちの方が好み。無印と比べると単発回のできは安定しているが山場の回がちょっと弱い時が多い。1期は特にそう。2期の函館回以降はずっと良かった。

 

 1期はさわやかな、2期は熱い曲が多かった気がする。曲の話をすると「ユメ語るよりユメ歌おう」が最高過ぎて何も言えなくなる。あのくっそさわやかで切なさとかときめきを秘めたメロディーとまっすぐな歌詞、あとエンディング映像が無限に良い。

 

 キャラに感情移入しやすくて1番好きなこと1番そうではない子の好感度の差が無印より少ない。ダイヤ推しだが一番かわいいのはマリーだと思う。ラブライブは3年生が優秀すぎる。

 

 ラブライブ特有の過剰演出がちょっと胃もたれすることも多かったが、通してみれば青春ものとして一貫しているコンセプトがたまらん。千花が「歩んできた道のりに求めていたものを見つけ出した」瞬間のときめきはすごかった。最終回のライブを見終わった時の胸の高鳴りは今でも忘れられない。名作だと思う。

 

 劇場版で評価を落としてほしくない。

 

 

 

機動戦士ガンダムSEED

 

 バンナムフェスの予習。

 

 ガンダムは話が複雑なイメージがあったが、意外と大筋はシンプル。状況に振り回される青年を中心にお話を描いているのでとても見やすいのだ。

 

 多くないセリフで場面場面を効果的に見せてくるので不思議な視聴後の感覚がある。にっちもさっちもいかない話だったが、そんなどうしようもない世界で頑張って生きる人たちの姿がとても胸に来たので、きっと面白かったのだ。

 

 どうすれば彼らはもっといい結末にたどり着けたのだろうと考えずにはいられないが、きっと、正しい答えはないのだろう。

 

 楽曲がどれもいい。

 

 ロボアニメとしては正直微妙。戦術立案部分とか状況対応とかは面白い。アクションは……ちょい地味だな。

 

 視聴後の感想はとてもモヤモヤするのだけれど、そのモヤモヤごと好きだという作品なんだろうなあという結論。

 

 

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY

 

 まあこっちも見るよね。

 

 アニメとしてはSEEDの下位互換というしかない。続編として継ぎ足された要素があまりアニメの面白さにつながってなくて、結果前作のいいところが薄まって物足りなさが残る。

 

 シンアスカ目線で見るとどうしようもない話だ。なんとか救いともいえるエピローグが本放送時にはなかったというのだから驚く。キラとアスランの話としては悪くはないけれども……。

 

 とはいえ、シンをはじめとする新キャラとかにそこそこ好きなキャラは出たりしたし、要素自体は悪くなかったと思う。とにかく終盤のまとめ方がよくなかった。もったいない作品だ。

 

 インパルの換装しまくる戦闘はとても好きだった記憶がある。インパルスVSフリーダムの時が一番盛り上がったのかもしれない。

 

 Ignitedをバンナムフェスで聞けるかどうかが気になって仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 とりあえずここまで。まだ触れた作品はいろいろあるけど、一気に吐くのももったいないからまたそのうち。ではまたいつか。

 

 

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(アニメ見たらこのCDは買っておけ)

【ネタバレ感想】映画「ドラゴンクエストユアストーリー」を愛せなかったオタクの嘆き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※注意 本ブログには映画ドラクエのネタバレを含みます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はじめに』

 

 

 

 自分は物語を見るのが好きだ。それがゲームにしろ、アニメにしろ、ドラマにしろ媒体を問わず大好きだ。

 

 創られたお話の中で生きる登場人物たちに、心を動かされたことは1度や2度ではない。時には、作品にハマりすぎて恋人を愛するが如く愛を注いできたことだってあった。

 

 物語が好きだと、愛していると叫ぶことが好きだ。故に、巡り合う作品が、愛せる作品であってほしいと、いつも思っている。

 

 そうやって物語との出会いを探す中で、本日見に行った作品が、ドラゴンクエストユアストーリー』である。

 

 

 

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 国民的RPGの初のフルCGアニメーション映画化。原作としてシリーズの中でも特に人気の高い「ドラゴンクエスト天空の花嫁」をチョイスし、豪華俳優陣をキャストに採用、事前広告も大量に打ち、この夏の大作の一つとして大きく取り上げられていた。

 

 自分は決してそこまで熱心なドラクエファンではなかったけれど、Ⅴは人生で初めてエンディングを見たゲームであったし、人並みに花嫁論争で主張できるくらいには思い入れのあるタイトルである*1

 

 さて、それで、この映画の感想であるが……

 

 

 

 先に言っておくと、個人的には結構楽しめる映画ではあった。

 

 幼年期をすっ飛ばし、青年期から始めた物語は、正直なところまあまあ不親切ではあっただろう。

 

 なんかヘンリーがよくわからんキャラになってるし、ヒロイン関係はのちの展開に合わせてかちょっと無茶のある展開も混じっていたように思う。原作要素の拾い上げも(妖精のあたりとかは)やや雑だった。

 

 一方で、主人公リュカのお話を描く上での取得選択はそこそこうまくできていたと感じる。気弱な少年が、父を失い、不幸な目にあいながらも成長し父の遺志を受け継ぎ世界を守るための旅をする――という流れ自体はしっかりしていて、少々古臭いノリとか無理やり差は感じつつ、映像美もあって思ったよりも楽しめた。

 

 原作自体が話の流れがしっかりしているので、そこを大きく破綻させず要素を絞ったのがうまくいっていた感じだろうか。

 

 映像は抜群に良かった。キャラデザに違和感はあるけれど、後半にはなれたし、ぐんぐん動くアクションは見ごたえがあって楽しかった。この路線で今度は原作そのままのアニメ化が欲しいと思うくらいにはよかったと思う。

 

「粗はあるけれど、それなりに褒められるところもあって、ドラクエⅤの映像化としては及第点くらいは付けられる、そこそこの作品」

 

 というのが、自分の『ゲマ戦まで』の評価だった。

 

 その評価が変わったのが、ラストのどんでん返しである。

 

 

 

 

 

 

ドラゴンクエストはゲームである』

 

 

 

 ゲマを倒し、ミルドラースを封印するために天空の剣を問へ向けて投げた瞬間、リュカ以外の世界は突然制止する。

 

 困惑するリュカの前に現れたのは、ミルドラースの皮をかぶったウイルス。

 

 リュカが旅してきた世界はドラゴンクエストⅤを最新技術を使ってリメイクした世界であり、リュカというのはその世界をプレイしているプレイヤーだったのだ。

 

 そんな世界を壊すために送り込まれたウイルスは、崩れていく世界の中でリュカにこう告げる。

 

「大人になれ」

 

 

 

 ……予兆はあった。

 

 冒頭のゲーム画面を使ったハイライトのような幼年期の描写。キューブのように消滅するモンスター、マーサのセリフ、意味ありげな映画のサブタイトル、キャッチコピー――

 

 間違いなく、本作の肝であり、本作の評価を決めるシーン。

 

 自分は、このシーンで、愛を奪われてしまったような、そんな喪失感を覚えてしまった。

 

 覚えさせられて、しまったんだ。

 

 

 

 

 

 

『僕たちはリュカじゃない』

 

 

 

 ウイルスに対し、リュカは立ち向かう。

 

「たとえ作り物でも、その思いは本物だ」

 

 この言葉は、本当は、この映画を見た僕たちの言葉になるはずだったのかもしれない。

 

 ドラゴンクエストは、ゲームである。

 

 ゲームは所詮作り物。現実には存在していないドラマだ。けれども、ドラクエをプレイしているときだけは、僕たちはその世界の主人公になることができる。そこで体験する旅路は、覚える感情は、現実の僕らの心を揺らしてきた。

 

 だから、所詮作り物だろう? と周囲に笑われたのだとしたら、僕らが返す言葉は一つ。

 

「所詮作り物に、ここまで心動かされるから面白いんじゃないか」

 

 そう言って笑えばいい。

 

 リュカの言葉は、これと全く同じ意味合いを持っている。

 

 そして、この映画は「ドラゴンクエストユアストーリー」――「あなたの」、つまりは、「僕たち」の物語である。

 

ドラゴンクエストは、それをプレイする人の物語であり、それは作りものであっても、その感動は本物である」

 

 この作品は、きっとそう言いたかったのだろう。

 

 リュカの言葉は、本来、僕たちの言葉であって、ミルドラースウイルスを否定するために、僕たちが叫ぶべき言葉を、リュカが代わりにほえたという形なのだろう。

 

 リュカという主人公は、僕たち一人一人の代わりになるはず「だった」

 

 

 

 でも違うのだ。この映画は、僕の物語じゃないんだ。

 

 リュカは限りなく僕でも、リュカは僕じゃないんだ。

 

 リュカを自分の代わりだと思うことは、どうしてもできないんだ。

 

 

 

 

 

 

『ファンタジーの中でファンタジーを壊すということの意味』

 

 

 

 この映画のテーマは、間違いなく、僕たちの想いそのものである。けれど、それなのになぜ、その言葉を吠えるリュカが僕の代わりになってくれないのか。そう思えないのか。

 

 2つ、理由がある。

 

 1つは、これが「映画」であるということだ。

 

 ドラクエは原作がゲームである。故に、シナリオというのは「解放し、読み進めていく」ものであった。自分が行動し、選択し、成果を上げることでシナリオは進行する。だから、その世界に没入感であったり、強い感情移入を覚える。

 

 一方で、映画とはシナリオが「流れていく」ものである。視聴者はあくまで俯瞰で見るもので、介入するものではない。故に、リュカという存在は感情移入の対象であっても、決して自分自身にはなってくれない。そもそも、リュカがたどった旅路は僕と全く違う旅路だ。「そういうもの」として、この物語を見に来たのだ。

 

 だから、僕はリュカとしてその言葉を叫べなかった。

 

 

 

 2つ目は、ドラクエを作り物だと叫ぶのが「物語の中」であるという点である。

 

 創作物を笑うのは、いつだって捜索の外にいる現実の外野だった。彼らの言葉は、どれだけひどいものであっても、すでにある作品の形を変えることはない。故に、自分がその作品を好きであれば、そんな言葉いくらでも無視できる。

 

 でも、今回それを否定したミルドラースは、物語の「中」にいる。

 

 僕が愛したドラクエⅤは、所詮物語に過ぎないと、その物語の中から、否定する。

 

 物語を肯定するリュカも、物語の中にいる。物語の中から、肯定する。

 

 創りものであっても、確かに現実だと感じていた世界が、自らを作り物だと叫ぶ。

 

 僕は、そんなシーンは見たくなかった。

 

 物語の中で起こることが少なくともその中では現実ではあるから、僕は物語で笑ったり、泣いたりできるのだ。だから、ミルドラースがリュカの物語を所詮ゲームだと笑った瞬間、そこまでの映画の本編で感じていた感情が、すべて消えてしまった。リュカの旅路に感じていたすべての想いが、作り物として無くなってしまった。

 

 そして、その時の僕の中には「リュカはゲームのプレイヤーである」という事実だけが残った。そのリュカは、僕の知っているリュカではなくなってしまったのだ。1時間以上旅路を見届けたリュカではなくなってしまったのだ。

 

 だから、ドラクエを肯定したときのリュカは、僕にとって知らない人になってしまった。リュカの言葉は、知らない人の言葉になってしまった。

 

 その言葉は、僕の言葉を代弁してはくれなかった。

 

 ……そして、映画が終わったときには、僕の中でリュカの物語は、作り物になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

『映画ドラクエを愛したかった』

 

 

 

 ゲマとの戦いまでのこの映画は、確かに愛せる映画だった。少なくとも、僕自身にとっては。粗削りでも、確かな魅力のある作品だったんだ。

 

 けれど、この映画は、それを作り物と言ってしまった。現実ではないのだと、僕たちに突き付けてしまったのだ。

 

 この脚本を書いた人は、その言葉の意味を理解していたのだろうか。

 

 作品の中で、「これは作り物に過ぎない」、そう叫ぶことが、どれだけ視聴者にとって大きな意味を持つのか、考えていたのだろうか?

 

 たとえ、どれだけ唱えるテーマが正しくても、それが、現実の言葉でなければ届かないということを、理解していたのだろうか?

 

 

 

「作り物であっても、そこで覚えた感動は本物」

 

 

 

 全くもってその通りだ。だから、この世に存在する物語は素晴らしい。

 

 

 

 ……だからこそ、物語の中だけでも、そのすべてが現実のものであってほしかった。作り物だなんて、叫ばないでほしかった。

 

 

 

 作り物の中で生まれた現実を、愛せる作品であってほしかった。

 

 

 

 映画「ドラゴンクエストユアストーリー」が、自分にとって愛せる作品であってほしかった。

 

 

 この作品を、愛したかった。

 

 

 それができないことだけが、ただただ、残念でならない。

 

 

 

 

 

 

©2019「DRAGON QUEST YOUR STORY」製作委員会

*1:ちなみに自分はデボラ派だ

映画『天気の子』ネタバレあり感想 「僕はこの映画を見終わったとき、拍手をしたくなった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※注意 本ブログは天気の子についてのネタバレが含まれます。天気の子を見た人だけ閲覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて新海誠という監督の作品に触れたのは『君の名は。』だった。

 

 その映画を初めて見たとき、映像の美しさや音楽の秀逸さ、生き生きと描かれた登場人物たちに強く感情移入し、とても楽しんだのを覚えている。

 

 映画館から出た後も、一緒に見た友達と映画の好きだったところを夢中でずっとしゃべり続けた。家に帰ってもドキドキを忘れられなくて、初めて同じ映画を2度見てみたり、小説などの関連書籍を読み漁ったりした。

 

 世間が君の名は。ブームに沸きあがっていくのに比例して、自分もまた新海監督の作品に夢中になっていった。

 

 

 

 あれから3年。新作である『天気の子』の公開日がやってきた。

 

 いつもなら苦手な早起きが、何故か今日はとてもすんなりできて、朝一番に劇場に向かい、9時公開の初回上映でしっかり見てきた。

 

 時に笑ったり、時にのめり込んだりしながら、2時間の長いようで短い上映時間を過ごした。

 

 その中で得た思いを、これから記していこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・とても魅力的なイントロダクション

 

 

 

 物語の導入というのはとても大事なものだと思うが、そういった意味では天気の子とても優れていたと思う。

 

 がむしゃらに島を飛び出した少年・帆高が甘い見通しで東京で行き詰まり、そこから須賀さんに拾われて始まるライター事務所での生活は、その描写のコミカルさも相まって手も魅力的な序盤だと思えた。今作は『君の名は。』と比べると大人の描写がくっきりしていて、メイン2人の若さととても対照的になっていた。

 

 そんな中で陽菜というヒロインを出会い物語が動き出し始める瞬間は、とてもワクワクした。

 

 ……やたら生々しい展開に面を喰らったりしたが。

 

 

 

 

 

 

・雨と晴れの美しい情景

 

 

 

 天気が大きな作品のテーマということもあり、情景の描写はとても気合が入っていた。

 

 一般的なアニメでも天気というのは場の雰囲気を表したり登場人物の心情とリンクし足りするが、天気の子では作品の盛り上がりに直結している。

 

 作中で穂高が言っていたように、天気にどこまでも心を揺らされる作品だった。

 

 それでいて、物語の前半と後半で天気に対する印象が大きく変わるのだから、すごい作品である。

 

 

 

 

 

 

・追い詰められていくその過程

 

 

 

 一人で島を飛び出した穂高が陽菜と出会い、自分たちで生活を回しだした……と思ったら、警察の補導というあまりにも生々しい展開で突然の終わりを迎える。

 

 このままではだめだと逃げ出して、何とかしようとしても、行き場などなくどんどん手詰まりが近づいていく。描写自体は異常気象による……という派手なものではあったが、何とかしようとする思いが空回りしどんどん追い詰められていく様は、子供の無力さをこれでもかと突き付けられるようできつかった。

 

 ホテルのシーンは微笑ましかったからこそ、その後の帆高の「何も引かないでください」という言葉が重たかったし、ベッドの上で2人で泣き始めたときには、画面を見るのもつらくなってしまった。

 

 そして陽菜が消えてしまった後、世界が晴れるわけだが、真夏日の日差しがあそこまでつらいと思う日が来るとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

・晴れより大切な人

 

 

 

 帆高という主人公は、終盤までずっと「無力な存在」として描かれ続ける。

 

 家出をして東京に飛び出してきたときも、晴れをお届けするときも、陽菜や凪と東京を逃げ回るときも、何もできないことの方が圧倒的に多かった。

 

 社会という空間に、ずっとそのルールを押し付けられるような存在だった。

 

 だからこそ、僕は後半に穂高が陽菜に会うために東京中を駆け巡るシーンに、強く心を打たれた。

 

 陽菜が作った世界をのんきに喜んでいる世界に憤り、いなくなってしまった彼女を悲しみ、「彼女に会いたい」という思いだけで、警察署から飛び出す。

 

 それは、何もできなかった穂高の「反乱」だったと思うのだ。

 

 世界が真っ当な天気を取り戻した。警察に捕まってしまった以上、素直に事情を話したほうがいいだろう。素直に話せば案外すぐに帰れるかもしれない。それで終わり。それが、普通の終わり方なのかもしれない。

 

 

 

 それでいいのか?

 

 

 

 だって、ここには、陽菜がいないんだぞ?

 

 

 

 だから、飛び出した。もう一度、陽菜に会いたいんだ。だったら、会わなくちゃいけない。

 

 あらゆる障害全てを仲間も協力もあって振り払い、そして、陽菜の元までたどり着く。

 

 そして言ったのだ。

 

 

 

「俺は晴れより陽菜がいい!」

 

 

 

 穂高は陽菜を引き戻した。陽菜は穂高と帰ってきた。

 

 挿入歌「グランドエスケープ」が流れた、空の中での2人のシーンを見たとき、自分は、何か心を強く締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 それは、映画が終わった後すぐに配信サイトでグランドエスケープの音源を購入し、狂ったようにずっと聞き続けていることにもつながっている気がする。

 

 

 

 

 

 

・帆高と陽菜はなにをしたのか

 

 

 

 雨が降り止まなくなった東京で、成長した穂高は自らの選択に対して2つの言葉を聞く。

 

「東京は元に戻っただけ」

 

「世界はもともとくるっている」

 

 だから、「自分が世界の何かを変えてしまったわけではないのだ」と、考えることもできたのかもしれない。

 

 でも、穂高はそうは思わなかった。

 

 

 

 

「あの日、確かに世界を変えたのだ」

 

 

 

 そう、言う。

 

 あの日、穂高と陽菜は確かに世界を変えたのだ。

 

 陽菜が背負っていた運命を投げ出し、天気を正すことをやめ、世界の異常を正常に変えてしまった。

 

 それでいいのだと。

 

 それでも、僕たちはここにいるから。

 

 だから、「大丈夫」と。

 

 

 

 

 

 

・見終わったときに感じた感情の正体

 

 

 

 天気の子は、理不尽なお話だと思っている。

 

 正直に言ってしまえば、陽菜の「晴れにする能力」を押し付けられたのも、陽菜からすればひどい話だとは思わないだろうか?

 

 確かに彼女は、晴れを願った。母親と一緒に、もう一度晴れの日を歩きたいと。

 

 けれど、どうしてそれが「世界のために身をささげる」なんて話になるのだ?

 

 あんまりじゃないか。それが世界にとって正しいことみたいになるのは、理不尽じゃないか。

 

 陽菜はただ生きたかっただけなのだ。凪とともに、どんなに小さい場所でもいいから、ただ、このままを暮らしたかっただけなのだ。

 

 穂高も陽菜も、終盤まで誰かの都合に縛り付けられる存在だった。そしてそれは、悲劇ではあるけれども、なんだか正しい物語のようにも思えるのだ。

 

 須賀さんが「一人の犠牲で救われるならそれでいいじゃないか」という言葉が、耳に痛かった。この物語を見ている自分自身が、それでいいような気がしたのだ。それが正しいと思ったのだ。

 

 この記事を書いている自分は大学生である。バイトはしているので最低限の社会経験はあるが、お酒は飲めないくらいの、典型的なモラトリアム。天気の子という作品においては、多分夏美一番近い。

 

 夏美の心情については小説で保管されているので是非見てほしい。彼女は、陽菜が犠牲になって終わるという展開に納得できない気持ちを持ちながら、須賀の言葉の正しさを認めていた。それが普通のような気がしたのだ。

 

「陽菜だけの被害で終わるならそれでいいじゃないか」

 

 それ良しとしなかったのが、穂高だったのだ。

 

 世界とか、そんなのどうでもいい。陽菜に会いたいと、そう叫び、実行する穂高が。

 自分は、心の底から眩しかった。

 

 合理性とか、正統性とか、そんなもの全部を無視して、ただ自分が思うままに行動することができた穂高に、自分はぶん殴られたような気分になった。

 

 そんなわがままみたいな決断をして、貫ける穂高が、羨ましかったのだ。

 

 だから、自分は肯定したい。正しくなくても、誰かにけなされるかもしれなくても、自身の想いを貫いた2人の想いを。決断を。

 

 それは正しいのだと、叫びたい。

 

 

 

 天気のこの物語をすべて見終え、劇場内に再び明かりがともったとき、自分は思わず拍手をしそうになった。

 

 それは、感動したとか、面白かったとか、そういう気持ちももちろんあったけれど。

 

 何より自分は称えたかったのだ。きっと自分ではできないだろう行動をした穂高たちを。その物語を紡いでくれた監督を。そのも語りを伝えてくれたスタッフやキャストの皆さんを。

 

 自分は、この物語に出会えてよかったと、伝えたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

・総評

 

 

 

 天気の子は穂高が世界にあらがう話だった。それはある意味で、決まった運命にあらがう「君の名は。」に酷似しているといえるかもしれない。

 

 けれど、違う。この物語は、誰かの諦めや縛りによって作られた、不確かな、けれど確かにいつもそこにある世界にあらがう話だ。

 

 窮屈で、理不尽で、正しそうなあらすじを否定し、自らの想いを貫いた穂高たち。その瞬間のカタルシスは、何事にも代えがたいものだったと、自分は思う。

 

 もしかすると、穂高たちの選んだ道は、多くの人にとって受け入れられないものであったかもしれないけれど。

 

 それでも自分はこう言いたい。

 

 

 

 この、『天気の子』は、傑作であると。

 

 

 

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 本当に、見れてよかった。

 

 今は、そう思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


・劇場を出た後で

 

 

 これは余談になるのだが、映画を見た日は午後から大学だったので、そそくさと映画館を飛び出したところ、朝の晴天が嘘のように雨が降り出した。

 

 大学に向かう途中降りやまず、濡れて無駄に疲れてと散々だった。

 

 けれど、何故か妙にそんな雨すら、ちょっと嬉しかったのは、われながら気持ち悪い気はしつつ、いいなあと思った。

 

 

@2019「天気の子」製作委員会

アイマスライブを見に行くときの「映画」を見に行くようなワクワク感の話

 

 

 

 

 

 

 

 アイドルマスターというコンテンツに触れて熱心に追いかけるようになってしばらくたった。初めのころこそゲームやアニメをやっているだけで十分満足できたのだが、いつの間にやらそれだけで満足できなくなっていって、「行かなくていいライブはない」といい始めるくらいにはアイマスライブというものにどっぷりハマってしまった。

 

 LVから初めて、気づけば半年で3回現地に行くような人間になってしまい、田舎の貧乏学生としては金銭面への負担がすさまじくひもじい日々を送っている。楽しいからOKですと開き直りそうになるの良くない。

 

 

 まあとはいえ、アイマスのライブに通いまくっていると5年前くらいの自分に言えば、「貴様堕ちたな」と中2病の自分に酷評されそうなもんではある。

 

 

 今でこそ当たり前なことだが、現実には存在しないゲームの中のアイドルの声優さんが衣装を着てステージに立ち、歌やダンスを披露するというのはまあまあクレイジーなことだ。正直自分も昔は良さがさっぱりわからなかった。


 歌を歌っている以上、声優さんもアーティストだし、ライブをやること自体は変なことではないんだろうが、キャラの分身としてステージに立っているというのはなかなか異質なこと。

 

 

 今でもたまに、知り合いから「キャラじゃなくて声優をみて何が楽しいの?」みたいなことを言われることは、ある。

 

 これに対する人のアンサーは人それぞれだと思うし、千差万別の答えがあってしかるべきだろう。

 

 

 ただ、自分はどう考えているか、と聞かれれば、こう答えたい。

 

 

「自分は、アイマスの物語を見にライブに参加します。それこそ、映画を見に行くみたいに」

 

 

 ライブというのは、音楽を中心としたパフォーマンスを披露する舞台である。


 そこにはいつだって、見ている人に伝わる何かがあるわけで。


 アイマスライブはとりわけ、そのパフォーマンスに「ストーリー」が詰まっていると思う。

 

 

 そもそも論なのだが、アイドルマスターとはプレイヤーがプロデューサーとして担当アイドルをプロデュースする、というゲーム性である。


 様々なアイドルと出会う中で自らの担当を決めて(もちろん1人に決めない人もいる)、その人が悩んだり、苦しんだりしながら、アイドルとして進んでいく様を隣で追いかけていく。


 据え置きだろうがソシャゲだろうが、ポチポチゲーだろうが音ゲーだろうが、決してぶれることのない第一前提である。

 

 

 ゆえにアイドルマスターは、コンテンツの受け取り手に「ファン」であること以上に「プロデューサー」であることを望むことが多い。


 コンテンツの大きな発展にあったときに「プロデューサーさんのプロデュースのおかげです」と言ったりするのは、「ファンの皆さんの~」的なものとの言い回しの違いでしかないとはいえ、受け手としては大きく印象の変わることだろう。

 


 その受け手にプロデューサーであることを望むような部分は、音楽面にも反映されることが多い。

 

 アイドルというのは本来ファンに向けられるものである。だが、アイドルマスターでは、「これはプロデューサーへの言葉も含まれているのでは?」、「これはアイドルとプロデューサーしか知らないお話が元になっている曲だ」という曲がいくつかある。

 

 これは、「アイドルがその歌を歌うまでに何をしてきたか」を知っているプロデューサーが主な聞き手だからこそ、出来る手法といえるだろう。

 

 普通であれば、「音楽を介してアーティストに出会う」という過程であるはずなのだが、「アーティストを通して歌と出会う」というのが、アイドルマスターであるといえる。


 アイドルマスターにおいては、歌すらもまた、1人1人のアイドルたちのストーリーを語る手法なのだ。

 

 

 この手法は、ライブでも貫かれている。


 アイドルの分身としてステージに立つ声優の皆さんは、こちらに「プロデューサー」と呼びかける。それは、歌っているときでも。


 その時間は、本質的に言えば、ゲーム中でアイドルのコミュを呼んでいるときと同じだ。


 アイドルとの触れ合い方が、テキストなのか、音楽なのか、という違いでしかない。

 

 だからこそ、自分はライブに映画を見に行くときのようなワクワクを覚える。

 

 ゲーム、漫画、アニメ、多様なメディアでいろいろな経験をしてきたアイドルが、そのすべてが一つに収束し、声優さんという最高の相棒を通して、濃密なストーリーが描かれる。

 

 

 その瞬間が、自分は、たまらなく大好きなのだ。

 

 

 

 それこそが、自分がライブに行く理由であると、胸を張って言うことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 アイマスの音楽の裏側には、いつだってドラマがある。そのドラマを追いかけるようにみると、普通の音楽ライブとはまた違う面白さがあるはずだ。

 

 

 

 

 これからも、そんな素敵な物語に出会えることを願って、自分はライブに生き続けたい。