時空を超える「これすき」

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映画『天気の子』ネタバレあり感想 「僕はこの映画を見終わったとき、拍手をしたくなった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※注意 本ブログは天気の子についてのネタバレが含まれます。天気の子を見た人だけ閲覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて新海誠という監督の作品に触れたのは『君の名は。』だった。

 

 その映画を初めて見たとき、映像の美しさや音楽の秀逸さ、生き生きと描かれた登場人物たちに強く感情移入し、とても楽しんだのを覚えている。

 

 映画館から出た後も、一緒に見た友達と映画の好きだったところを夢中でずっとしゃべり続けた。家に帰ってもドキドキを忘れられなくて、初めて同じ映画を2度見てみたり、小説などの関連書籍を読み漁ったりした。

 

 世間が君の名は。ブームに沸きあがっていくのに比例して、自分もまた新海監督の作品に夢中になっていった。

 

 

 

 あれから3年。新作である『天気の子』の公開日がやってきた。

 

 いつもなら苦手な早起きが、何故か今日はとてもすんなりできて、朝一番に劇場に向かい、9時公開の初回上映でしっかり見てきた。

 

 時に笑ったり、時にのめり込んだりしながら、2時間の長いようで短い上映時間を過ごした。

 

 その中で得た思いを、これから記していこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・とても魅力的なイントロダクション

 

 

 

 物語の導入というのはとても大事なものだと思うが、そういった意味では天気の子とても優れていたと思う。

 

 がむしゃらに島を飛び出した少年・帆高が甘い見通しで東京で行き詰まり、そこから須賀さんに拾われて始まるライター事務所での生活は、その描写のコミカルさも相まって手も魅力的な序盤だと思えた。今作は『君の名は。』と比べると大人の描写がくっきりしていて、メイン2人の若さととても対照的になっていた。

 

 そんな中で陽菜というヒロインを出会い物語が動き出し始める瞬間は、とてもワクワクした。

 

 ……やたら生々しい展開に面を喰らったりしたが。

 

 

 

 

 

 

・雨と晴れの美しい情景

 

 

 

 天気が大きな作品のテーマということもあり、情景の描写はとても気合が入っていた。

 

 一般的なアニメでも天気というのは場の雰囲気を表したり登場人物の心情とリンクし足りするが、天気の子では作品の盛り上がりに直結している。

 

 作中で穂高が言っていたように、天気にどこまでも心を揺らされる作品だった。

 

 それでいて、物語の前半と後半で天気に対する印象が大きく変わるのだから、すごい作品である。

 

 

 

 

 

 

・追い詰められていくその過程

 

 

 

 一人で島を飛び出した穂高が陽菜と出会い、自分たちで生活を回しだした……と思ったら、警察の補導というあまりにも生々しい展開で突然の終わりを迎える。

 

 このままではだめだと逃げ出して、何とかしようとしても、行き場などなくどんどん手詰まりが近づいていく。描写自体は異常気象による……という派手なものではあったが、何とかしようとする思いが空回りしどんどん追い詰められていく様は、子供の無力さをこれでもかと突き付けられるようできつかった。

 

 ホテルのシーンは微笑ましかったからこそ、その後の帆高の「何も引かないでください」という言葉が重たかったし、ベッドの上で2人で泣き始めたときには、画面を見るのもつらくなってしまった。

 

 そして陽菜が消えてしまった後、世界が晴れるわけだが、真夏日の日差しがあそこまでつらいと思う日が来るとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

・晴れより大切な人

 

 

 

 帆高という主人公は、終盤までずっと「無力な存在」として描かれ続ける。

 

 家出をして東京に飛び出してきたときも、晴れをお届けするときも、陽菜や凪と東京を逃げ回るときも、何もできないことの方が圧倒的に多かった。

 

 社会という空間に、ずっとそのルールを押し付けられるような存在だった。

 

 だからこそ、僕は後半に穂高が陽菜に会うために東京中を駆け巡るシーンに、強く心を打たれた。

 

 陽菜が作った世界をのんきに喜んでいる世界に憤り、いなくなってしまった彼女を悲しみ、「彼女に会いたい」という思いだけで、警察署から飛び出す。

 

 それは、何もできなかった穂高の「反乱」だったと思うのだ。

 

 世界が真っ当な天気を取り戻した。警察に捕まってしまった以上、素直に事情を話したほうがいいだろう。素直に話せば案外すぐに帰れるかもしれない。それで終わり。それが、普通の終わり方なのかもしれない。

 

 

 

 それでいいのか?

 

 

 

 だって、ここには、陽菜がいないんだぞ?

 

 

 

 だから、飛び出した。もう一度、陽菜に会いたいんだ。だったら、会わなくちゃいけない。

 

 あらゆる障害全てを仲間も協力もあって振り払い、そして、陽菜の元までたどり着く。

 

 そして言ったのだ。

 

 

 

「俺は晴れより陽菜がいい!」

 

 

 

 穂高は陽菜を引き戻した。陽菜は穂高と帰ってきた。

 

 挿入歌「グランドエスケープ」が流れた、空の中での2人のシーンを見たとき、自分は、何か心を強く締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 それは、映画が終わった後すぐに配信サイトでグランドエスケープの音源を購入し、狂ったようにずっと聞き続けていることにもつながっている気がする。

 

 

 

 

 

 

・帆高と陽菜はなにをしたのか

 

 

 

 雨が降り止まなくなった東京で、成長した穂高は自らの選択に対して2つの言葉を聞く。

 

「東京は元に戻っただけ」

 

「世界はもともとくるっている」

 

 だから、「自分が世界の何かを変えてしまったわけではないのだ」と、考えることもできたのかもしれない。

 

 でも、穂高はそうは思わなかった。

 

 

 

 

「あの日、確かに世界を変えたのだ」

 

 

 

 そう、言う。

 

 あの日、穂高と陽菜は確かに世界を変えたのだ。

 

 陽菜が背負っていた運命を投げ出し、天気を正すことをやめ、世界の異常を正常に変えてしまった。

 

 それでいいのだと。

 

 それでも、僕たちはここにいるから。

 

 だから、「大丈夫」と。

 

 

 

 

 

 

・見終わったときに感じた感情の正体

 

 

 

 天気の子は、理不尽なお話だと思っている。

 

 正直に言ってしまえば、陽菜の「晴れにする能力」を押し付けられたのも、陽菜からすればひどい話だとは思わないだろうか?

 

 確かに彼女は、晴れを願った。母親と一緒に、もう一度晴れの日を歩きたいと。

 

 けれど、どうしてそれが「世界のために身をささげる」なんて話になるのだ?

 

 あんまりじゃないか。それが世界にとって正しいことみたいになるのは、理不尽じゃないか。

 

 陽菜はただ生きたかっただけなのだ。凪とともに、どんなに小さい場所でもいいから、ただ、このままを暮らしたかっただけなのだ。

 

 穂高も陽菜も、終盤まで誰かの都合に縛り付けられる存在だった。そしてそれは、悲劇ではあるけれども、なんだか正しい物語のようにも思えるのだ。

 

 須賀さんが「一人の犠牲で救われるならそれでいいじゃないか」という言葉が、耳に痛かった。この物語を見ている自分自身が、それでいいような気がしたのだ。それが正しいと思ったのだ。

 

 この記事を書いている自分は大学生である。バイトはしているので最低限の社会経験はあるが、お酒は飲めないくらいの、典型的なモラトリアム。天気の子という作品においては、多分夏美一番近い。

 

 夏美の心情については小説で保管されているので是非見てほしい。彼女は、陽菜が犠牲になって終わるという展開に納得できない気持ちを持ちながら、須賀の言葉の正しさを認めていた。それが普通のような気がしたのだ。

 

「陽菜だけの被害で終わるならそれでいいじゃないか」

 

 それ良しとしなかったのが、穂高だったのだ。

 

 世界とか、そんなのどうでもいい。陽菜に会いたいと、そう叫び、実行する穂高が。

 自分は、心の底から眩しかった。

 

 合理性とか、正統性とか、そんなもの全部を無視して、ただ自分が思うままに行動することができた穂高に、自分はぶん殴られたような気分になった。

 

 そんなわがままみたいな決断をして、貫ける穂高が、羨ましかったのだ。

 

 だから、自分は肯定したい。正しくなくても、誰かにけなされるかもしれなくても、自身の想いを貫いた2人の想いを。決断を。

 

 それは正しいのだと、叫びたい。

 

 

 

 天気のこの物語をすべて見終え、劇場内に再び明かりがともったとき、自分は思わず拍手をしそうになった。

 

 それは、感動したとか、面白かったとか、そういう気持ちももちろんあったけれど。

 

 何より自分は称えたかったのだ。きっと自分ではできないだろう行動をした穂高たちを。その物語を紡いでくれた監督を。そのも語りを伝えてくれたスタッフやキャストの皆さんを。

 

 自分は、この物語に出会えてよかったと、伝えたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

・総評

 

 

 

 天気の子は穂高が世界にあらがう話だった。それはある意味で、決まった運命にあらがう「君の名は。」に酷似しているといえるかもしれない。

 

 けれど、違う。この物語は、誰かの諦めや縛りによって作られた、不確かな、けれど確かにいつもそこにある世界にあらがう話だ。

 

 窮屈で、理不尽で、正しそうなあらすじを否定し、自らの想いを貫いた穂高たち。その瞬間のカタルシスは、何事にも代えがたいものだったと、自分は思う。

 

 もしかすると、穂高たちの選んだ道は、多くの人にとって受け入れられないものであったかもしれないけれど。

 

 それでも自分はこう言いたい。

 

 

 

 この、『天気の子』は、傑作であると。

 

 

 

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 本当に、見れてよかった。

 

 今は、そう思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


・劇場を出た後で

 

 

 これは余談になるのだが、映画を見た日は午後から大学だったので、そそくさと映画館を飛び出したところ、朝の晴天が嘘のように雨が降り出した。

 

 大学に向かう途中降りやまず、濡れて無駄に疲れてと散々だった。

 

 けれど、何故か妙にそんな雨すら、ちょっと嬉しかったのは、われながら気持ち悪い気はしつつ、いいなあと思った。

 

 

@2019「天気の子」製作委員会