全アイマス担当アイドルを数えてみた。
16人いた。
馬鹿なんじゃないのかと思っている。しかし同時に仕方ないとも思う。みんな魅力的なんだもん。
担当だけでもいっぱいっぱいなのに、担当外にも気になるアイドルがいて、もう頭がてんやわんや。
「別に担当になったからって何かしなくてもいいんだから気楽に増やせよ」と理性は言っているが、でもそれはそれでなんか違うのだ。担当じゃないけど好きって形があるのだ。
じゃあどうする?
ファンになるのはどうだろう?
そう、例えば、自分は長富蓮実さんが好きだ。
時代とともに失われ、「レトロ」と呼ばれているものを、とても大事にしつつ、それをもう一度現代に打ち出そうしている姿はとても輝いてる。彼女の魅力を形作っているものなのだから、きっと素敵なものだろうというのが伝わる。
彼女のファンになる、つまり、親衛隊になる(とする)。
追うのではなく、触れない距離で見守るような触れ方。遠くから憧れながら、ずっと見ているような感じ。今のアイドル追っかけとはまた違う感じで面白そうだ。
自分は担当のことになると、何かと無駄に固くとらえがちだが、ファンという立場から見ると、彼女のありのままを上手く見れるような、そんな気もする。気楽に追いかけられる気がする。
ファンになるという選択肢。ありなのではないか。
アイマスというコンテンツに対してのアプローチがひとつ増えるわけだ。それは、担当ムーブとはまた違う楽しみがある。
担当が出演していないイベントでも、ファンの子がいれば、また違う楽しみ方ができてお得だ。それはつまり、楽しめる時間が増えるということでもある。
多様なアプローチがあるというのは、コンテンツを長く、深く愛することにつながるのではないだろうか。
ファンになる。アイマスに触れる上で、そんな考え方を持ってみるのも、面白いかもしれない。
©窪岡俊之©2011 BNEI